黄金の月







闇の中で、その肌は淡く光って見えた。



――だれだ?



柔らかに揺れる褐色の髪。
水晶のように透きとおる瞳が見つめている。



――こいよ。



瞬きをして小首をかしげる、その仕草に覚えがある。
好奇心を抑えきれず、警戒を緩めながら少しずつ近づいてくる、小猫のような少女。
そっと手を伸ばすと、触れた頬がひやりと冷たかった。



――リン。



涼やかに鈴が鳴る。
途端に、気持ちが焦った。
細い腕首をつかんで引き寄せようとすると、しなやかな身のこなしでかわされる。



――なんだ。ほら、だいじょうぶだから、こいって。



無言のまま振り向いた、桜色の唇が艶美に微笑った。
悔しいほどに愛らしい。
俺のものにはなり得ないのだ。
―-あたためてやるよ。



ゆっくりと、彼女は首を振った。
「だめ」と音のない声を発しながら。



――チリン…リン…



――ほら、いいからはやくこい。



はやる気持ちを抑えながら、いらいらと呼ぶ。
小さな鈴の音がこんなにも恐ろしい。



――チリン…チリン…



――かりん!



「だめ」



闇に灯るようだった微笑がすっと失われた。
彼女の背後に見える、白く輝く巨大な生きもの。



「わたしは――」



――チリン!













「花梨!!」


瞬時に掴みかかった腕の主は、ひゃあと大袈裟な悲鳴をあげて床に引っくり返った。


「ごっ、ご…ごめんなさいっ!!」
「お前―――」


我に返って見下ろす先には、涙目で恐れおののきながら必死に腕を振りほどこうともがく少女。
彼女が動くたびに、やかましく鈴が鳴る。


「…なんだ、これ」
「これはただの…ただのケータイで…私はただ…」


手から捻り取ったそれは、奇怪な形をした不思議な物体だった。
飾りの細い紐の先で、布の縫い包みと小鈴が揺れる。
情けない表情で、花梨は「ただ…」と続けていた。


「なにをしようとしていたんだ」
「…ちょっと…記念に撮影を……」
「さつえい?」


いぶかしげに眉根を寄せて、勝真はもたれていた欄干から起き上がった。
気まずそうにうつむく彼女の白い小袿に目を止め、やっと状況を思いだす。
風邪を引いたと聞いて見舞いに来たついでに、退屈まぎれに簾前で居眠りをはじめてしまったのだ。
側に引き寄せてある火桶は、紫姫か気の利く女房が置いてくれたものらしかった。


「…とにかく」


じろっと向けられた不機嫌な眼に、花梨はますます身をすくめた。


「あまりあやしい行動を起こすな」
「ごめんなさい…」
「――おい」
「…はい」


さらに叱られる気配を察知して花梨はたじろぐ。


「お前病人の自覚があるのか?」
「え?」
「今日熱が引いたばかりなのに、裸足で簣子にでるやつがあるか!」
「あ…。でも、一日寝てたからもう大丈夫です。治っちゃいましたよ」
「もう一度病気にしてくださいといってるようなものだろ。まったく…油断してると痛い目見るぞ」
「はい…すみません」
「本当にお前は――バカだな」


すっかりお決まりになった軽口を叩き、勝真は彼女の額を軽くこずいてやった。
いつものように、花梨は「はい」と苦笑する。

すでに日は沈みきり、空気は群青色だった。
師走もそろそろ終わろうとしている、真冬時。
白く染まった庭が月光で銀に輝いている。
月は夜の冷気を暖めるかのように赤味をおびて浮かんでいた。
ほらほら、と彼女を追い立てて部屋に入ると、灯台のほの明るい空間に、二つの影が生まれた。


「これ、勝真さんが持ってきてくれたんですか」


折敷と一緒に置かれた小坪に目を止めて尋ねた花梨の、袖元の紫苑がさねが鮮やかに映える。
出されたものを防寒に着ただけだろうが、穿きなれない濃色の単袴が、妙に彼女を大人めいて見せていた。
思わず目を細めて見つめてから、少し遅れて「――ああ」と応える。


「土産だ。食べるか」
「わぁ。なんなんですか?」


目前で蓋を開けると、薫る甘さに、彼女はほおっと息をついた。


「おいしそー!」
「柑子の蜜漬けだ。喉にいいんだよ。甘いものは好物だろ」
「はい!」


瞳を輝かせていそいそと立ち上がる彼女の前に手をかざし、「まあ待て」と止める。


「そう慌てるなって。切るものなら持ち合わせがあるから。…つまづくぞ」


袴の裾を持て余し、部屋に入るだけでも危なっかしかった彼女を案じて苦笑する。
素直に花梨は座りなおし、折敷から出した器が渡されるのを大人しく待っていた。
差し出した朱塗りの器の上で、山吹色の輝きが光る。


「ほら。たくさんあるから、ゆっくり食べろよ」
「そんなにがっついてませんよ、私」
「そうか?少なくとも、貴族の女はお前ほど食わないぜ」
「………」
「まあ、そんな顔するなって。女の食欲が旺盛なのは悪くない」


ぶすっとむくれたまま、花梨は柑子を口に運んだ。
一瞬の後には、至福の笑みが彼女の顔を支配していた。


「おいしーっ!」


勝真は軽く噴き出した。


「そうか、それはよかった」
「おいしいです!勝真さんもどうですか?」
「…まったく」
「…はい?」


きょとんとする彼女の様子に、改めて可笑しさがこみあげてくる。
小さく笑い続けながら、勝真は続けた。


「大袈裟なやつだよな、お前は。普通、甘いものなんかでそんなに喜ぶか?顔中で笑って」
「…えー。いいじゃないですか。大好きなんですもん」
「本っ当にのん気なやつだな」
「私は食べるために生きてるんですっ」
「ああ、そうか!」


脇息にもたれてまで笑いだす勝真に、つんとすまして花梨は同じない。
ただ、甘い果物を口にしてはふわりと幸福な笑顔を浮かべた。
呆れ笑いを収めながら、黙ってそれを見守る。

いい知れぬ寂しさが、胸に湧きあがるのを感じながら。


「――花梨」
「はい?」


いつしか。
ものを食べる彼女を眺めているのが、好きになっていた。
見られていることをまるで意識せず、好きなものを真っ先に頬張り、心から美味しそうに味わう姿。
はじめてだった。
自らすすんで、女にものを贈りたいと思ったのは。
笑顔が見たい、それだけの理由で。


「……帰るのか」


戸惑いは正直に現れた。
一瞬動きを止めた彼女は、やがて、そっと器から顔を上げた。


「……私…」


窺い見てから、また唇を閉じる。
真っ直ぐに向けられている視線から逃れるように、うつむいた。


「…私が、ここにいるのは…不自然なことじゃ…ないんでしょうか」
「――そんなはずはない」


火桶の小さな火が、自信なく目を伏せる花梨の顔をささやかに照らしていた。


「お前は……」




――京の龍神の神子だろう。




「…。お前が…帰るために頑張ってきたことは、よく知ってる」




――ずっと見ていた。




「だがな、これだけは覚えておけよ」




――帰したくはない。




「選ぶのはお前だ」
「……はい」


花梨が顔を上げた。
困ったように微笑みながら、感謝の言葉を簡潔につぶやく。

感情を急き止めていたことをはっきりと自覚し、その辛かったことを痛感した。
気持ちを止めなければならない理由は、あと少しでなくなる。
まだ、言えない。


「……勝真さん」


急に、彼女は目を丸くして簾の向こうを見上げた。


「同じ色」
「は?」


さっと立ち上がり、花梨は勝真の背後の簾をあげた。
橙の光が、こぼれるように差し込んだ。


「ほら!」


彼女の横顔が、月明かりに包まれた。
瞬く瞳と、乳白の肌が闇夜に映えて輝く。


「今夜の月と、柑子の蜜漬け。同じ色です」
「…そうだな」


ひょいと、腕を伸ばしていた。
腰を引き寄せ、彼女が声をあげる間もなく、もろともに妻戸にもたれる。
状況をつかめずされるままになっていた身体が、やがて一気に強張った。


「えっ?!なっ、な…っ?!」
「このほうがよく見えるだろ」
「は…っ、はい…?!」


右腕で包み込んだ頭に首からもたれて重みをかけた。
薫る蜜の香りに、「甘ったるい匂いだな」と笑う。


「…そうだな」
「へっ?!」


返事とも返答ともつかない花梨の声には気を止めず、勝真は独り言のように続けた。


「俺も、もらうか」




――つかまえた。


黄金の月を見上げて、はっきりと決めた。


もう、鈴の音なんか恐れるものか。
なにがあっても守り抜く。
大切な、俺の好きな笑顔を。


息をひそめて抱かれる身体が、崩れるように少しずつ体重をかけてきていた。
突然、勝真はくしゃくしゃと彼女の頭を乱暴に撫でて、身を起こした。


「そろそろ帰る」
「―――は…」


支えを失った彼女も慌てて肘をついて起き上がる。
髪を乱したままぽかんと床にへたりこむ目前を、すたすたと通り抜けて背中を向けたまま忠告した。


「お前も、とっとと寝ろ。体冷やすなよ」
「かっ、勝真さん!あ、あの――?」


袴を握り締めて膝立ちをする彼女を振り返り、勝真は、月明かりの下、にやっと笑った。


「そんな、ちょっと引っ張れば剥けるような格好でいられると落ち着かないんだよ」


さっと歪んで朱に染まる表情の変化を見届けて、笑いながら簣子を進む。
背後から、ばたんと、床に座り込む音がした。





Fin.



あとがき


時期的にはクリスマスの設定なので、無理矢理クリスマス創作。(笑)

女が一番可愛いのは、美味しそうにものを食べるときだと真剣に思います。
特に、家の主たる男性は古来から、家人が小さな果物を食べる姿を好むらしいんですよね。
幸せの象徴に思えるんでしょうかね?(^^)
そういえば、枕草子の一説にも。
「いみじううつくしきちごのいちごくいたる」が「いとをかし」とありますし。
お寿司やさんのカウンターで強面の板前さんが、ふと微笑んで
「お嬢さん方があんまりうまそうに食べてくれるんで、サービスです」
と果物の付け合せをくれたこともあり、やっぱり美味しいものは美味しそうに食べるのが一番だなぁと♪

逆に、うちの妹は「果物をまる齧りする」男性がいとをかし、と常日頃から主張しています。
…いいですね、果物。(笑)


笹鞠愛花




この作品は笹鞠愛花様のサイト「吹きよせの小籠」にてクリスマスフリー創作として配布されていたもの第2弾です☆
笹鞠様のあとがきも掲載させていただいています(^^)
勝真さんが花梨ちゃんを守る、と決意するまでの様子が丁寧に書かれていて、とても素敵な作品だと思いますv
最後にしっかり花梨ちゃんをからかっている辺りが勝真さんらしいかと(笑)。
好きなシーンはやはり勝真さんがなにがあっても守り抜く、と決意するシーンですv

笹鞠様、素敵な作品本当にありがとうございました!

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